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「命を落とすような事が冒険じゃない。冒険とは、自分のいるポジションから一歩踏み出す勇気だ」
と語っていた冒険家河野兵市(43)さんの遺体が、日本時間5月24日午前6時45分ごろ
カナダ・ワードハント島の北約80キロの氷上で、発見されました。
誰もが一度は憧れる冒険家・探検家。その99%の人が憧れた事さえ忘れ去っていく中、
憧れた記憶を呼び戻させてくれる冒険家・探検家達を特集。
◆◆冒険家達◆◆
河野兵市・リーチングホーム
北極点から日本まで1万5千キロ、6年間の旅は未完のまま完結しましたが、
河野氏が残した軌跡は、一歩踏み出す勇気を教えてくれたような気がします。
☆ユーコン川いかだ下り(24歳)、マッキンリー登頂(25歳)、北米大陸横断(25歳)、
アメリカ三大マラソン完走(26歳)、サハラ砂漠縦断(32歳)、日本人初北極点単独徒歩到達(39歳)
シーカヤック沖縄〜松山(41歳)
植村直己ホームページ
今や伝説の人、植村直己氏の植村スピリッツの語り部達が作成しているサイト。
1984年2月12日世界初マッキンリー冬季単独登頂を達成した翌13日、チャーター機に登頂を
知らせる交信を最後に消息を絶つ。当時早朝6時か6時半頃のラジオ番組に毎日だったか
週2,3回だったかは覚えていないが、植村氏との交信をするコーナーがあり、
楽しみに聞いていただけにショッキングな知らせだった事を覚えている。
☆マッターホルン単独登頂('66)、キリマンジャロ単独登頂('66)、アコンカグア単独登頂('68)、
日本人初エベレスト登頂('70)、・・・世界初北極点犬ゾリ単独行、北極点到達('78)、・・・
世界初マッキンリー冬季単独登頂('84)
冒険家「大場満郎」のページ
'99植村直己冒険賞を受賞した山形出身の冒険家。'73年家業の農業を引き継ぐも
中国、ヨーロッパ、アフリカの農業を視察。又、アマゾン河6000kmを筏で下り、
アマゾン周域の農業を視察して回った変り種。
☆グリーンランド西海岸単独徒歩行('85)、北磁極往復900km単独歩行、カナダ北極圏
2000km単独歩行、北極海単独徒歩横断('97)、世界初南極大陸単独徒歩横断('99)、
北磁極を目指す第1回冒険ウォーク('00)。
Skiing On The
Globe 和田好正
プロスキーヤー和田好正氏オフィシャルサイト。300人以上のアルピニストの命を奪った
魔の山、マッターホルンの頂上から世界で初めて滑降を成し遂げるなど、世界5大陸の
山々をスキー滑降してきた冒険スキーヤー。
☆マッターホルン('85)、マッキンリー('86)、ニューギニア
ジャヤ山('90)、ケニア山('91)、
エクアドル チンポラソ山('91)、モンゴル
ツァンバカラボ('93)、アラスカ200km氷河冒険('95)
台湾 玉山('98)。
九里徳泰
on the web
アメリカ大陸人力移動などで有名なアウトドアエキスパート&モバイラー冒険家
九里徳泰氏のオフィシャルサイト。世界各地を自転車(MTB)で走破する達人として知られている。
☆世界初チベット高原ラサーカシュガル3105kmを単独自転車走破('84)、南米アコンカグア登頂・
MTBで滑降('88)、南北アメリカ大陸縦断('89〜'95)・・・。
田部井淳子
女性として世界で初めて7大陸世界最高峰登頂を達成した女性登山家のパイオニア
田部井淳子女史のオフィシャルサイト。
☆エベレストに女性世界初登頂('75)、・・・オセアニア大陸最高峰カルステンツ・ピラミッド登頂で
世界7大陸最高峰完登、その他各国の最高峰に次々挑戦し続ける。
今井通子 クラブ・ベルソー
医学博士でもあり会社経営者でもあり世界的な登山家でもある、今井通子女史を会長とする
クラブベルソーのホームページ。
☆女性パーティで世界初マッターホルン北壁登頂('67)、女性として世界初欧州三大北壁完登
('67〜'71)、世界初ヒマラヤ・ダウラギリU・V・X峰クロス縦走('83〜'84)、キリマンジャロ
山頂よりパラグライダー飛行('88)・・・。
KEN
NOGUCHI Website
コーヒーのコマーシャルでお馴染みになったアルピニスト野口健氏のオフィシャルサイト。
植村直己氏著書「青春を山に賭けて」との出会いが人生を変えたと言う野口氏。
世界最年少(25歳)での7大陸世界最高峰登頂(当時)で有名だが、現在はチョモランマ清掃登山、
シェルパ基金設立に力を注ぐ。
Naoki
Ishikawa's WEBSITE
野口健氏の7大陸世界最高峰登頂最年少記録を、河野兵市氏の遺体が発見された5月24日に
(現地時間23日午前)塗り替えた若干23歳の石川直樹氏のオフィシャルサイト。
南太平洋の島々で伝統航海術(スターナビゲーション)をを学ぶ。
☆'98年北米大陸最高峰マッキンリー登頂から'01南極大陸最高峰ビンソンマシフ・
南米大陸最高峰アコンカグアに単独登頂。先日ヒマラヤ登頂を果たす。
◆◆探検家達◆◆
間宮林蔵の世界へようこそ
間宮海峡を発見した19世紀初頭の探検家であり測量家でもあった間宮林蔵の子孫の方の
ホームページです。間宮林蔵は蝦夷(北海道)・千島列島・樺太に20年以上滞在し、
今日の北海道地図の基礎となる「蝦夷図」を完成させています。
伊能忠敬の大日本沿海輿地全図の北海道部分は間宮林蔵によるものだそうです。
白瀬中尉の生涯
1910年から1912年にかけてほぼ同時に南極点到達を目指す、アムンゼン隊・スコット隊・
白瀬隊の3隊。1911年12月アムンゼン隊が前人未到の南極点に到達。翌12年1月
スコット隊が南極点踏破するも帰途、隊員全員が遭難死。白瀬隊は、氷点下20度の厳しい
寒気とブリザード、晴れた日にはまぶしい光線のために雪盲に悩まされついに突進を中止。
南緯80度05分に日章旗を立て、「大和雪原」(やまとゆきはら)と命名。
結局一番乗を果たせなかったが、スコット隊のことを考えると、白瀬中尉の決断
は結果的には
正しかったと言えるでしょう。
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